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〈リポート〉
小舟で江戸の外堀巡り ~川から見た江戸の風景~

「第19回 小舟による江戸の外堀巡り」というツアーが7月16日(土)に開催されました。ツアーに参加した高木要太郎さん(67歳)の写真リポートです。
写真・文:高木要太郎さん

小舟で江戸の外堀巡り

小舟による江戸の外堀巡り。満席の舟/写真撮影:高木要太郎

江戸時代の遺跡に関心が集まっている

舟による江戸の外堀(外濠)巡りは、陸上からでは決してわからない、もうひとつの東京見物として、はとバスツアーや鬼平犯科帳の舞台、ロケ地巡りなどとともに人気のツアーである。

フェイスブックの友人に誘われて、「第19回 小舟による江戸の外堀巡り」に参加することにした。

午前10時にJR総武線・都営地下鉄線「浅草橋」駅に集合。

軽装に帽子をかぶり、トートバッグやリュックサックを背負った高齢の人たちが、同じ書類を手に持って談笑している。背の高い男性に「あそこにいる水色のシャツの女性が受付をしていますので、参加費(3,000円)を払って、名簿のチェックをしてください」と声をかけられ、手続きを。

そこへ、友人がやって来て「雨が心配だったけど晴れましたね」と言うと、横で乗船を待っていた男性が「私、晴れ男なんですよ」と話しかけてきた。「良かったですよ、せっかくのツアーが雨だったら、ねぇ」と他の女性も会話に参加してきた。今、会ったばかりでも、目的が一緒というだけで会話も自然に流れるのが、こうしたツアーの魅力のひとつでもあると思った。

動きはじめたみんなの後ろをついていくと、川の堤防を越えるためにつくられた階段をのぼって乗船がはじまっていた。最後に乗り込むと、席はほとんど埋まっていたが、写真を撮るために好都合な一番後ろの席が空いていた。

今日のコースは、
浅草橋→柳橋→Uターンして→秋葉原→お茶の水→飯田橋→
堀留橋→一ツ橋→日本橋→茅場橋→隅田川→
浜離宮恩賜庭園→豊海橋(朝潮運河)→佃島→隅田川→浅草橋
というルート。約2時間半で回るそうだ。
小舟で江戸の外堀巡り

神田川→日本橋川→亀島川→隅田川→朝潮運河→隅田川→神田川を巡るルート

このツアーは、中野たてもの応援団名誉会員で、東京藝術大学の名誉教授、建築史家の前野まさるさんが音頭を取ったもの。今回は、先生の解説を元に、写真をプラスして外堀巡りをリポートしていこうと思っているのだ。

神田川――別名、仙台堀を舟で行く

浅草橋の向こうに見えるのは柳橋

浅草橋の向こうに見えるのは柳橋/写真撮影:高木要太郎

出発地の浅草橋は、昭和5年につくられたもの。橋の内側は、屋形舟の係留地になっていて、どことなく昭和を感じさせる風情がある。

柳森神社は鬼門除けで、現在の佐久間町一帯の鎮守として祀られたのがはじまり

柳森神社は鬼門除けで、現在の佐久間町一帯の鎮守として祀られたのがはじまり/写真撮影:高木要太郎

柳森神社は、1458年に太田道灌が江戸城を築いたときに「鬼門除け」として建てられた。「おたぬきさん」と呼ばれる親子狸のお守りは、他抜(たぬ)き=他より抜きんでるという語呂合わせで、勝負事や立身出世、金運向上にご利益があるという言い伝えがある。願い事は人知れず行くのがいいらしい

秋葉原の万世橋近くには、かつて甲武鉄道(私鉄)の起点駅「万世橋」という駅があった。明治39年(1906年)の鉄道国有法で、現 JR中央線の一部となる。写真右側に写っているレンガの高架橋は甲武鉄道が建設したもの。旧 万世橋駅から交通博物館、そして今はマーチエキュート神田万世橋という商業施設になっている。

万世橋の街路灯とレンガの高架橋

万世橋の街路灯とレンガの高架橋/写真撮影:高木要太郎

万世橋の街路灯

別の日に撮影した万世橋の街路灯/写真撮影:高木要太郎

お茶の水の、聖橋(ひじりばし)を通過し、お茶の水分水路を通り、水道橋、後楽橋(こうらくばし)、飯田橋を通って、神田川から分岐する日本橋川へと向かう。

お茶の水分水路の出口

お茶の水分水路の出口。分水路とは、河川で増水した水を分けて流すための水路/写真撮影:高木要太郎

水道橋付近

水道橋付近/写真撮影:高木要太郎

行楽橋は神田川と日本橋川の分岐点あたりに架かっている

行楽橋は神田川と日本橋川の分岐点あたりに架かっている/写真撮影:高木要太郎

日本橋川は、JR中央線の水道橋駅付近で神田川から分岐して、堀留橋、雉子橋、新 常盤橋、旧 常盤橋、常盤橋、日本橋などを経て、豊海橋の先から隅田川に流れ込む約5キロの一級河川。地図で上から見ると、首都高速道路にすっぽり隠れている。

小舟で江戸の外堀巡り

前野まさる先生(東京藝術大学 名誉教授)の解説によると、江戸は、武蔵野台地(多摩川と荒川の間)が分岐したところにつくられている。15世紀に、江戸入りした太田道灌が日比谷湊(日比谷入り江)に江戸城を築き、16世紀に徳川家康が江戸に入ってから、本格的な築城がはじまり、そのときに掘もつくられた。掘は、物資の運搬と防御・防災用だった。

神田川と日本橋川の一部は江戸城の外堀だった

神田川と日本橋川の一部は、江戸城の外堀だった

明治以降に、陸上の道路整備やトラックの登場で、水路は無用となり、関東大震災と第二次世界大戦ののちに、焼け跡整理のごみ捨て場として、堀は埋められた。再び掘り起こされたのは昭和39年(1964年)開催の東京オリンピックで、高速道路を建設するためだったそうだ。

江戸城は、海(日比谷入り江)の近くに建てられた

神田台地(神田山・現在の駿河台あたり)を削ってつくったことで、その名がつけられた神田川(旧 平川)。

平川と呼ばれていたころは、現在の気象庁(千代田区大手町)あたりから日比谷入り江に向けて流れていたが、江戸城の土地を広げるために、太田道灌によって、飯田橋から東の方角に意図的に流れを変えてつくられた。のちに飯田橋から浅草あたりまでを普請した仙台藩主の伊達政宗にちなんで、仙台掘とも呼ばれた。

千代田区役所の桟橋

千代田区役所の桟橋/写真撮影:高木要太郎

雉子橋(きじばし)付近にある江戸城の外堀

雉子橋(きじばし)付近にある江戸城の外堀/写真撮影:高木要太郎

雉子橋(きじばし)付近には、江戸城の外掘の石積みが残っている。野面(のづら)積みというそうだ。よく見ると、石を寄進した大名のマークが見えるが、今も昔も、人は自分たちのした功績は残したいということか。

小舟で江戸の外堀巡り

このあと舟は、一ツ橋、錦橋、神田橋、鎌倉橋、新 常盤橋、旧 常盤橋(常磐橋)、常盤橋、一石橋、西河岸橋、日本橋を通る。

常磐橋(旧 常盤橋)

常磐橋(旧 常盤橋)/写真撮影:高木要太郎

常盤橋公園の渋沢栄一の銅像

常盤橋公園の渋沢栄一の銅像/写真撮影:高木要太郎

3つの常盤橋のうち、新 常盤橋は、大正9年(1920年)に路面電車のために架けられた橋で、北側に日本銀行本店(金座跡)のある旧 常盤橋は江戸城の城門「常盤橋門」があったところ。常盤橋は、関東大震災(大正12年)の帝都復興事業で架けられた橋である。

日本橋は五街道の起点。日本橋川と交差する経済の中心地だった

日本橋は五街道の起点。日本橋川と交差する経済の中心地だった/写真撮影:高木要太郎

日本橋は、徳川家康が五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点とした橋。現在の橋は2011年に100周年を迎えた。

小舟で江戸の外堀巡り

日本橋の次は江戸橋、そして、霊岸橋、勝鬨(かちどき)橋を通り、佃島、浜離宮恩賜庭園、朝潮大橋から隅田川に出て、永代橋、清洲橋を通る。

霊岸橋

霊岸橋/写真撮影:高木要太郎

江戸時代の浮世絵師、歌川国芳が『東都三ツ股の図』に描いていると話題になった東京スカイツリーは、船上からのカメラの撮影場所としても人気である。

1つめの撮影スポットはローソクのように見える東京スカイツリーと清洲橋を撮ることができる場所。

東京スカイツリーと、アサヒビールの金色のオブジェと吾妻橋

東京スカイツリーと、アサヒビールの金色のオブジェと吾妻橋/写真撮影:高木要太郎

東京スカイツリーと清洲橋

東京スカイツリーと清洲橋/写真撮影:高木要太郎

2つめは、吾妻橋、アサヒビールの金色のオブジェと東京スカイツリーの3つを一体で撮ることができる撮影スポットである。

吾妻橋、アサヒビールの金色のオブジェと東京スカイツリーの3つを一体で撮ることができる撮影スポット

このツアーには、「NPO法人 東京を描く市民の会」メンバーの人も参加していた。今日の印象を描いた絵と、いつか、どこかで会えることを楽しみにしている。

下へ続く
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