いま注目のあの人

第21回:映画『こどもしょくどう』監督
日向寺太郎さん

いま輝いている素敵な人からお話を聴いてみたい。ただ、その想いでインタビューをするのが、このコーナー。今回は、2019年3月23日(土)より岩波ホールで先行上映が行われる映画『こどもしょくどう』でメガホンをとられた日向寺太郎監督を訪ねました。シニア世代にも無関係ではない問題が含まれた本作への想いなどをお聴きしました。

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「子どもの内面から子ども食堂を描いてみようとフィクション作品に」と日向寺監督/撮影:弓削ヒズミ

子どもたちの視点で描かれた映画『こどもしょくどう』

豊かに見える日本社会の中で、満足に食事をとることができない子どもたちがいます。そんな子どもたちの拠り所となっている「子ども食堂」が、地域の新たなコミュニケーションの場として全国各地に広がっています。その「子ども食堂」の生まれる背景を、子どもたちの視点で描いたのが映画『こどもしょくどうです。当サイトでは「シニア・シネマ・レポート」で、いろいろな映画を紹介していますが、今回は編集部だけで試写を観て、ぜひ、読者の皆さまに詳しくご紹介したいと思い、記事の形式を変更。監督の日向寺太郎さんにお願いして、特別にインタビューが実現しました。

映画『こどもしょくどう』予告編/提供:パル企画

人間の中には「良い部分」も「悪い部分」も両方が同居

■「子ども食堂」をテーマにしたのはどうしてでしょう。

2015年の初夏、デビューからお世話になっているプロデューサーから「子ども食堂」をテーマにしたらどうかと提案されました。ちょうど、テレビなどでも「子ども食堂」が注目されている時期でもありました。

最初、僕はドキュメント作品かと早合点したんですよ。でも、よくよく話を聴くと、プロデューサーはドラマ、フィクションで考えていて、僕にはその発想が全然ありませんでした。たしかにドキュメントでは子どもの内面を描くのが難しいので、フィクションなら、ぜひ、撮らせて欲しいと言いました。

■実際に「子ども食堂」を取材されたそうですが。

東京都大田区にある「子ども食堂」の名付け親といわれている「気まぐれ八百屋だんだん」に2度行き、最初はお客さんとして、2度目は代表者の近藤博子さんにお話を伺いました。「子ども食堂」という名前ですが、大人もたくさん居て、私は、よくいわれる「貧困」のイメージを感じませんでした。とても和やかな雰囲気で肩肘張らずに居られる「新しい場」が出来てよかったなと、その時に思いました。

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「実際の『子ども食堂』に、新しい『場』ができていると感じました」と日向寺監督/撮影:弓削ヒズミ

■どうやってストーリーを作っていったのでしょうか。

一人の人間の中には「良い部分」も「悪い部分」も両方が同居していると思うのです。足立紳さんの代表作の映画『百円の恋』(2014)では、人間のだらしない部分、弱い部分が描かれていて、そうした部分を本作でも書いてもらいたくて脚本を足立さんにお願いしました。

僕は「子ども食堂」を運営している人や、それに関わっている人には敬意をもっていて、皆さん、とても良い人たちなんだと思います。でも映画の場合、「こんな良い人たちがいました」とニュースのように紹介するだけでは面白くありません。せっかくフィクションで子どもたちの内面も描けるわけですから、「子どもたち目線で社会がどう見えるのか」を軸に思ったんです。どうやって「子ども食堂」が誕生したのか、それを描いた方が説得力があるんじゃないかと、脚本家の足立さんと話しているうちに自然と決まり、2年にわたって脚本を練り上げていきました。

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映画『こどもしょくどう』は2019年3月23日(土)より岩波ホールで先行上映/写真提供:パル企画

■子どもたちの内面を描く上で、何か参考にされたり取材したりしましたか。

ノンフィクションの本をよく読みましたが、実際に子どもたちには取材してはいないです。

■主人公たちと同い歳の子を持つ親として、子どもたちの描写がすごくリアルに感じましたが。

たぶん、それは足立さんも同年代の娘さんがいるのがそれが大きいかと思います。その娘さんはサッカーをやっていて、ユウトのやっているスポーツを野球にするかサッカーにするか迷いました(笑)

■ダブル主役の高野ユウト役の藤本哉汰さん、木下ミチル役の鈴木梨央さんお二人の演技が特に良かったですが、何か指導されたのですか。

僕は特に何も言っていません。彼らにやりたいようにやってもらって、違っていたら撮り直す感じでした。子どもたちにイキイキと演じてもらいたかったので、リハーサルを何度もやらず、できるだけ早く本番で撮っていこうと心がけました。とにかく、彼らの持っているものが失われないようにと思ったんですよね。

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河原で父親と車中生活をしていた自動車が、目の前で壊されていくのを見て呆然とするミチルたち/写真提供:パル企画

映画に描かれたことは、誰にでも起こりうる問題

■映画の中では、大人たちがとても情けない感じに描かれていたような気がしたのですが。

そうですか? 僕の中では、大人も子どもも変わらないという想いです。高野ユウトも友だちのタカシがいじめられているところを見ても何もできないのと同じで、人には「良い部分」も「悪い部分」も両方があります。

途中で失踪してしまったミチルとヒカルたちのお父さんは、たしかに酷い大人だと思います。だけど、ミチルたちの回想シーンでは、家族にとっていい父親でした。僕が考えているのは、このような問題は、ミチルの父親だったからこういうことになったのではなく、回想に出てきた幸せな家族にだって、こういうことが起きるんだ、誰にでも起こりうることなんだっていう方が強かったんですね。

たぶん、ミチルたちのお父さんも、きちんと働いていたんだと思うんです。でも、何かのきっかけで精神的に落ち込んでしまって、無気力になってしまいます。初めからそうだったわけではなく、そうならざるをえなかったということです。これは特別な人の話ではないということを、ミチルとヒカルの一家で描きたかったんです。明日の私かもしれないし、自分の知り合いなのかもしれないし。

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「あのお父さんだから、あのお母さんだから、あのようになった訳ではなく、どの家庭でもあり得る訳です」と日向寺監督/撮影:弓削ヒズミ

■それこそ、子どもではなく、シニア・高齢者でもありうることですね。

まったく同じだと思います。いま、子どもであろうと、大人であろうと、高齢者であろうと、社会がそうなっていると思いますよ。年齢によって、人によって度合いが違うかもしれませんけど、この映画と同じようなことは起きると思います。あくまでも私なりの見方ですが、現在の社会はセーフティネットを持っていないと思っています。

■誰しにも起こりうるという意味では、映画『こどもしょくどう』のテーマは、子どもだけの問題ではないですね。

高齢者のシェアハウスやグループリビングも一つの在り方だと思います。結婚しなかった人もいるし、配偶者を亡くされた人もいますし、子どものいない人もいて、最後は一人となってしまう訳です。そういう人たちが一緒に生活をするってことは、従来の老人ホームとは違うカタチの「場」でありますよね。いま時代として、新しい「場」が求められていますよね。

■では、子ども食堂は「場」として求められたもの?

そうですね、「場」であったり「共同体」であったり、呼び方はどちらでもいいですが、そういうものが必要になっているのだと思いますね。そういうものがないと生きづらい時代なのだと思いますよ。この映画は、子どもたちが主役で、子どもたちの目から見た社会を描いてますが、現在の社会がどうなっているのか、世代を問わない共通の問題じゃないかと思いますね。

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「『子ども食堂』は、ある意味で行き過ぎた社会だから、何とかしなきゃと、生まれた場所なのかもしれません。推測ですけど」と日向寺監督/撮影:弓削ヒズミ

■話は変わりますが、監督も50代となってシニア世代の背中が見え始めたのでは。

歳をとることに不安がないといっては嘘になりますが、むしろ考えるのは、僕も子どもがいるので、その子たちにちゃんとした社会を残したいという気持ちですかね。いまの社会を作ったのは、われわれだと思うので、悪い部分は直していかないとダメなんじゃないかなと。時々、体力の衰えも感じたりはありますけれど、まだ、顕著ではないですし、職業柄というか、自由業なので、ずっと不安なのは不安です(笑) それは歳を取っても変わらずというか(笑)

■歳を重ねることで撮れる作品もあるのでは。

誤解されると嫌なんですけど、僕は体験を絶対化するつもりはありません。僕が撮った2本目の映画『火垂るの墓』(2008)の時に、すごく悩んだんです。戦争体験していない人間が描けるのかって。じゃあ、人を殺していなければ殺人者の映画は撮れないのかと同じで、あらゆるフィクションはそうなりますでしょ。

そういうことを考えていたんですけど、歳をとること=知識は増えるし、体験を積むことでもあるので、社会の見え方が変わってくることはありますよね。でも、体験だけを絶対化したくはない部分もあります。子育てしたから分かることもあるけど、だけど、それは子育てしてない人でも分かるかもしれない、と思っていなければいけないのかなと。

■お忙しいところ、ありがとうございました。

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日向寺監督は、一つ一つの質問に対して、言葉を選びながら丁寧に答えてくれた/撮影:弓削ヒズミ

子どもたちが主役の映画ということで、教育ドラマのような作品を想像して試写に臨んだところ、子どもたちが置かれたリアルな状況に心苦しくなり、鑑賞後は何か心に突き刺さったような気持ちとなりました。日向寺監督が何度も言われた「誰にでもありうる」という言葉のとおり、いつ、自分が、家族が、知人が、こんな状況になってもおかしくはない、いまの社会のことを考えさせられました。

映画『こどもしょくどう』は、2019年3月23日(土)より岩波ホールで先行上映が行われ、その後、各地で上映予定です。お近くで上映された際には、ぜひ、ご覧になってはいかがでしょうか。

文・写真=弓削ヒズミ(編集部)2019年2月


■ Profile ■
日向寺太郎(ひゅうがじ・たろう)

1965年宮城県仙台市生まれ。日大芸術学部映画学科卒業。卒業後、黒木和雄、松川八洲雄、羽仁進監督に師事する。 1998年『黒木和雄 現代中国アートの旅/前後編』(NHK)を監督。2005年『誰がために』で劇映画監督デビュー。その後、2008年『火垂るの墓』などでメガホンを振るう。

【作品紹介】
映画『こどもしょくどう』

監督:日向寺太郎
出演:藤本哉汰、鈴木梨央、常盤貴子、吉岡秀隆ほか
日本/2018年
2019年3月23日(土)より岩波ホールで先行上映

【あらすじ】
小学5年生の高野ユウト(藤本哉汰)は、食堂を営む両親と妹と健やかな日々を過ごしていた。一方、ユウトの幼馴染のタカシの家は、育児放棄の母子家庭で、ユウトの両親はそんなタカシを心配し頻繁に夕食を振舞っていた。ある日、ユウトとタカシは河原で父親と車中生活をしている姉妹に出会った。ユウトは彼女たちに哀れみの気持ちを抱き、タカシは仲間意識と少しの優越感を抱いた。

あまりに“かわいそう”な姉妹の姿を見かねたユウトは、怪訝な顔をする両親に2人にも食事を出してほしいとお願いをする。久しぶりの温かいご飯に妹のヒカルは素直に喜ぶが、姉のミチル(鈴木梨央)はどことなく他人を拒絶しているように見えた。数日後、姉妹の父親が2人を置いて失踪し、ミチルたちは行き場をなくしてしまう。これまで面倒なことを避けて事なかれ主義だったユウトは、姉妹たちと意外な行動に出始める――。

下へ続く
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