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地域のこどもたちを見守りながら、港区の観光ボランティアガイドも。「好奇心」が原動力。①

高橋善市さん(77歳)の24時間は、ほかのひとより長いのではないか。話を聞きながら、そんなふうに感じてしまいました。それほど、高橋さんの日常は予定が詰まっているのです。何がそんなに、と伺っていくと、地域の学校、町会、商店街での活動、次から次へと出て来て、驚いてしまいました。興味を持ったことは迷わず挑戦。その「行動力」に、ただただ、脱帽させられました。

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仕事をしていたころより増えている年賀状の枚数

「来年の年賀状は何を彫ろうか。それを考えるのが楽しみでもあり、産みの苦しみでもあります」
高橋善市さん(77歳)は、笑いながら、そう言います。

高橋さんは、中学生のころから毎年、版画の年賀状をつくっていて、この季節になるとデザインを考えはじめるそうです。これまでの年賀状を見せてほしいとお願いしたのですが、残念ながら「手元には1枚も残っていないんです」とのこと。

仕事から離れて15年近く経ったいまも、出す年賀状は300枚余り。現役で働いていたころより増えているかもしれないというのですから驚きます。なまはげをテーマにした版画年賀状は、2012年に秋田の情報紙のコンテストで大賞をもらったそうです。

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秋田の情報紙の年賀状コンテストで大賞(2012年)

興味を持つと、試さずにはいられなくなる

話を聞いていると、毎日が、とても忙しそうで、伺った当日も用事を1つ済ませて帰ってきたところでした。長年、連れ添っている奥さんの弥栄さんでさえ「夕食をとりながら、今日は3ヵ所回って来たという話を聞いて、驚いたことも」あったそうです。

「好奇心が強いんです。興味を持つと、試さずにはいられなくなる」
ひととのふれあい、ひとの為すこと、目にすることすべてが興味の対象となり、好奇心と、ひとの喜ぶ顔、それが高橋さんの行動の原動力になっているようです。

「おもしろそう」がきっかけで3年間の受講

高橋さんが、2年前に認定を受けた東京・港区公認の観光ボランティアガイドは、「区の広報で募集していたのを見て、おもしろそうだと思って」応募したのがきっかけだそうです。

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港区の六本木ヒルズと東京タワー

「毎月1回で3年間、区が実施する『港区観光ボランティアガイド育成講座』に行って、史跡や建築物、アート、景色、パソコンの使い方なども覚えました。実地講習では、区内の街歩きや、ボランティアガイドも見学に行きました」(高橋さん)

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港区観光ボランティアガイド育成講座の修了証書

港区の観光ツアーの応募者数は定員の2?3倍

港区の観光ボランティアガイドが行うツアーには、定番の11コースと、忠臣蔵などのガイド企画ツアーがあり、港区観光協会のウェブサイトや広報紙などで参加者を募集しています。今年4月からは、区内のホテルと連携して、英語対応の「ホテルツアー」や「商店街ツアー」も開始しているそうです。

「区内に80ヵ国も大使館があることから、“港区で世界一周”といわれる『大使館を巡るまち歩き』は人気のコースの1つ。大きな建物もあれば、小さな一軒家もあり、13ヵ国もの大使館が入っているビルもあるんですよ」
と、高橋さんが港区情報を1つ教えてくれました。

ひとに喜んでもらうための準備は怠らない

ツアーは、約2時間のコースを歩きながら、3?4人のガイドが交代で説明して、20人程度の参加者を案内するそうです。
「現在は、定員の2?3倍の応募者があり、参加は抽選になっているようです」(高橋さん)

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「港区は観光の宝庫です」

ツアーには、ガイドより詳しく知っているひとが参加することもあります。
「詳細な内容の、ことばにつまるような質問が飛んでくることもあります。区の資料には基本的な説明が載っていますが、参加したひとに喜んでもらえるような情報を集めようと思って、港区の情報が掲載されている雑誌などを見ると、つい買ってしまいますね」と高橋さんは言います。

おもてなしのこころで着るデニムの法被

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ボランティアガイドのユニフォーム。
東京タワー、ベイエリアをイメージした「波」と「ゆりかもめ」、
一期一会の和の心を表す「桜」

「今年の秋からは、これを着てガイドをしているんです」
そう言って、高橋さんが見せてくれたのはおしゃれなデニムのユニフォーム(法被)です。

おもてなしのこころを大切にという意味が込められている法被は、南青山を中心に活躍する世界的デザイナーのJUNKO KOSHINOさんのデザイン。デザインオーダー法被ブランドHappi.Tokyo(株式会社サプライズクリエイティブ)との共同プロジェクト「HAPPYCOAT」で、港区がつくったものだそうです。

港区は、来年3月15日に、区政70周年を迎えます。

長年住んでいた町にも新しい発見がある

青山生まれで麻布育ちの高橋さんは、
「疎開していた7年間をのぞいて、ずっと東京。小・中・高・大学は、すべて徒歩で通い、この地域のことしか知らない世間知らずと自分では思っています。ガイドの講座を受講して、麻布のことでさえ、1/3くらいしか知らないということに気がつきました」

そこで、麻布のことを知るための活動をしている「あざぶ達人倶楽部」にも参加しました。麻布の「街歩き」に、より力が入っているそうです。

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あざぶ達人倶楽部 中級情報発信チームが作成したパンフレット(2015年3月)

見守りながら、こどもたちに遊んでもらっている?

高橋さんは、大学卒業後、株式会社 河合楽器製作所に就職した後に、父親の経営するパン屋を継ぎました。コンビニエンスストアの出現で、「時代は変わる」、そう考えて、高橋さんが59歳のときに店を閉じたそうです。

その後は、港区の仕事に5年ほど携わりながら、地域や学校での活動もつづけました。
「学校、町会、商店街など、そして出会うひとすべてが、私のエネルギー源。こどもたちは、たくさんの孫だと思って接しています。大学のときの部活動で得た、こどもの心、心理、体験が役に立ち、それがいまやっている学校や地域活動で活きているんです」(高橋さん)

劇でこどもたちと親しんできた経験を活かして

高橋さんの言う部活とは、青山学院大学「児童文化研究部」のこと。活動の一環として、人形や影絵をつくり、地方の小学校や、都内の緑陰子ども会などを、劇の講演をして廻っていたのだそうです。

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大学時代のこどもたちとのコミュニケーション経験は大切な財産

「昭和30年代は、テレビも各家庭に無く、人形劇や影絵の劇は、こどもたちにとても喜ばれました。地方の場合は、先発隊が、小学校や教育委員会に話をして公演先を決めた後で、後発隊が、人形などを持って現地へ行くんです」(高橋さん)

紙粘土でつくった人形は、目も動かせて、着物も着せかえることができる大掛かりなものです。
「私の場合は、仕事を持ってからも休日を利用して、ときどき、OBとして地方での公演に参加していました。創作劇が多かったのですが、作家の浜田広介さんや坪田譲治さんなどの名作や、藤城清治さんのようなカラーのセルで影絵での劇もやりました。劇で使うものは自分たちでつくりましたし、こどもたちとコミュニケーションを取ることにも慣れてきた。それが、私の財産ともなりました」(高橋さん)

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文=水楢直見(編集部)2016年11月取材


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