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「自分史」を残そう

「自分史」を書きましょう。と言っても、何もそれを本にしましょうとか、その本を出版しましょう――という話ではありません。自分はこんなことをしてきた、こんなことを考えて生きた――を、記録として残しましょうという話です。

「自分史」を残そう

イラスト:弓削ヒズミ

自分が生きてきた証は、どんなカタチでもいい

「自分史」は「自分が生きた記録」と言ってもいいでしょう。いちばんよくある「自分史」は、「日記」です。しかし、「日記」となると、膨大な量になってしまいます。「アルバム」も一種の「自分史」と言っていいのですが、これもランダムに写真を残しただけでは、何を伝えたいのかがハッキリしません。

できれば、だれが見ても、「ヘェ、こんな人だったんだね」とあなたを理解できるように、記録を整理して残す。ここでは、「自分史」をそういうものとして定義したいと思います。

「自分史」を残す目的は、大きく分けると、2つあると思います。

自分がどう生きてきたかを整理することで、自分の人生を整理する。

家族や子孫に、自分が生きた証明(こんな人間だった)を残す。

というわけなので、記録する内容は、何でもいいのです。記者が出会ってきた人たちの中には、ユニークな「自分史」を残した人たちもいました。

クルマ好きの男が残した「愛車と人生」の自分史

無類のクルマ好きだったその男は、自分が愛したクルマの写真を中心に「自分史」をまとめました。独身時代のクーペから、家族ができてのセダンへ、子どもが成長するにつれてワゴン車へ、四駆へ……と、クルマを買い替えていく様子を写真で綴りながら、そこに、自分のクルマへの思い、そのクルマで家族でしたこと、出かけたところなどの記録が付記されていました。

やがて子どもたちが巣立ち、夫婦ふたりだけの暮らしが始まると、クルマは軽に変わり、そして、最後のページには――、

次は、コレ……。

の一文。その下には、小さく、小さく、霊柩車の写真が貼り付けてありました。

自然大好きな一生を綴った「落ち葉」の自分史

切り絵作家の助手をしていたその女性は、自然が大好きという人でした。とりわけ好んだのが、落ち葉。「命の活動を終えて大地に舞い落ちる落ち葉を見ると、命のはかなさを感じて、なんだか愛おしくなる」と言うのです。

街や公園できれいな落ち葉を見つけては、それを拾ってきて新聞紙に挟んで乾燥させ、オブジェにしたり、インテリアに使ったり……ということをやっていました。特にお気に入りの落ち葉があると、それをスクラップ用のノートに貼り付け、そこに、その季節、自分の身に起こったことや感銘を受けたことなどを、詩ともエッセイともつかない形で書き添えていました。

そのスクラップが、全部で5冊。これも立派な「自分史」です。やがて、彼女は病(ガンでした)を得て、入院生活を送るのですが、病室に持ち込んだスクラップの最後のページには、こんな言葉が綴られていました。

最後の一枚は、わ・た・し……。

見せられたとき、ついウルッ……ときたのを覚えています。

「自分史」を残そう

撮影:編集部

心に残ったことを書き留めていくだけでいいのです

「自分史」は、そんなふうに、自分の心に残っていることを中心に記録していけばいいのだ――と思います。

釣りが好きな人なら、「釣り」と家族の成長を記録しただけでも「自分史」。子ども好きな人なら、四季折々、自分の子どもや孫に贈ろうと思った言葉を書き留めただけでも「自分史」。料理好きな女性なら、家族が「おいしい」と言ってくれた料理のレシピに、メッセージを添えて記録しただけでも、立派に「自分史」になります。

どうぞ、素敵な「自分史」を刻んでください。


編集部・シゲP記者
70代のじいちゃん記者。長年、編集者として数々の書籍やムックの出版に携わり、いまは執筆者として多くの作品を発表。いまだ現役としてアクティブに活躍している。

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