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《コラム》ダボハゼ見聞記
第6回「団塊の世代」

七つの顔をもつヴォーカル・パフォーマー、ダボハゼのぺぺさんが、好奇心の赴くまま、自ら見て、聞いて、体験したことを、シニア世代の本音として、また団塊世代の視点で綴る不定期連載コラムです。今回のテーマは、2月8日に亡くなられた堺屋太一氏を偲び、ずばり「団塊の世代」。

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団塊の世代の名付け親

堺屋太一氏が亡くなった。戦後ベビーブームで生まれた昭和22年から24年生まれの世代を「団塊の世代」と命名した名付け親である。また氏は、’70大阪万博の火付け役であり、その後の国際博覧会を誘致成功に導いたことは周知の事実である。氏がいみじくも一塊の世代として捉えたのは、社会的に大きな存在となると予見していたからにほかならない。団塊の世代とは何者なのか? 団塊世代が通った時代を振り返ってみたい。

オイラは、団塊世代の一員である。この世代は、ゆりかごから墓場まで競争の世代であり、青春時代に受験戦争や学生運動、高度経済成長を経験した、いわば戦後社会の申し子といえよう。それこそ中学の時には偏差値なるものが出現し、偏差値によって受験校が自ずと決められ、偏差値の低いものは生涯それを引きずって生きて行く。子供の学習能力を図る客観的な指標としては優れているのかもしれないが、劣等生の烙印を押された子供は、それを打ち破る気力さえ失ってしまう。人生が偏差値で全て決まってしまうことはないということを知るのは、大人になってからだ。

押し寄せる時代の変革期

オイラが学生の頃は、‘70年安保闘争が起こり、東大紛争やよど号ハイジャック事件等極左活動全盛の時だった。ノンポリ(政治に無関心)だったオイラも必然的に学生運動の最中に巻き込まれた。神田の学生街がカルチェ・ラタン(パリの学生街で反体制運動の拠点)化し、学生と機動隊の衝突が繰り返され、社会は騒然となった。

大学は休講となり、2年の時はほとんど授業に出ていない。ノンポリのオイラは、友人に誘われてデモに参加するものの、一部の狂信的な運動にはとてもついていけなかった。左翼学生運動が盛んな時、自衛隊の決起を叫んで割腹自殺した三島由紀夫事件が発生。三島の作品に強く魅了されていたオイラは衝撃を受けた。青春時代にもっとも影響を受けた社会的事件は、ケネディ大統領暗殺事件と三島事件だった。一方では、我が国初の大阪万博が開催され、世の中お祭り気分に浮かれていた。ご多分に漏れずオイラも夜行バスで万博会場に向かった。人人人人……。

すごい熱気! 夏だったものだから、余計大変だった。好きだった岡本太郎の太陽の塔を見て、その下に蠢く人々が何か人ではなく虫に見えたものだ。

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イラスト:弓削ヒズミ

団塊の世代が就職してからしばらくして、第1次オイルショックがあった。トイレットペーパーに世のオバサマ方が殺到した。風評とは恐ろしいものだ。その後、昭和53年には成田空港が開港し、海外旅行が手軽になり、昭和59年には東京ディズニーランドが開園した。昭和60年には我が国二回目の筑波万博が開催され、昭和64年、昭和が終わり、平成を迎えた。

彷徨える世代

ざっと、団塊の世代が過ごした昭和を振り返って見たが、戦後に生まれた我々は、戦後復興期を経て高度経済成長期の波に乗って、戦争も体験せず、経済的には恵まれた世代だった。むろん、戦後の日本を復興させたのは、我々より一回り上の世代やそれに続く企業戦士の人々の力に寄るところが大きい。

団塊の世代は、どちらかというと社会を斜めに観ていて、あるいは一歩退いた目で社会を見ていたかも知れない。いや、中には自分より国家社会のため尽くす人々もいた。オイラは社会学者じゃないので、この辺の分析は譲るが、一塊の集団だが様々な価値観を持った一団だった。そうしたバラバラな価値観をもった集団が家庭や組織に入り、新たな社会を形作っていった。平和で自由な日本だからこそ、多様な価値観が許されたとも言える。

我々が昭和を突き抜け、平成という時代を迎えたときは、ソ連の崩壊、バブル経済の崩壊、地下鉄サリン事件、大地震等既存の世界観、人生観を覆される時代となった。我々団塊の世代は、平和憲法に守られ、バブルの恩恵を受け安穏と生活し、バブル崩壊後も、ほそぼそと貯金をし、来るべき悲惨な老後に備えている。

奇しくも今年平成が終わり、団塊の世代もいよいよ老年晩期となる。

少子超高齢時代を迎え、団塊の世代はこれからどこに向かおうとしているのか。彷徨える世代となるのだろうか? まだまだ枯れるには早い。胸の中には熱い血潮が依然として脈打っている。いやいや、もう現に徘徊しているかも?

文=ダボハゼのぺぺ


■Profile■
ダボハゼのペペ
(だぼはぜのぺぺ)
東京都江戸川区の小岩生まれ。年齢不詳。クラウン、日本シャンソン協会正会員、元・笑い療法士など、七つの顔をもつヴォーカル・パフォーマーとして、福祉施設や老人ホームなどでボランティア活動を行う。シャンソン歌手としてライブにも出演。2010年より「カーボンオフセット・コンサート・アソシエーション」を立ち上げ、地球温暖化防止推進団体へ寄付するためのコンサートを主催する。
公式Facebookページ

■ダボハゼ見聞記 バックナンバー
第1回「ボランティア活動」
第2回「リタイア後」
第3回「同窓会」
第4回「ほらほらあれあれ」
第5回「新年を迎えて」
第6回「団塊の世代」

関連記事=2017年2月27日掲載『七つの顔をもつヴォーカル・パフォーマー・ダボハゼのペペさん①
関連記事=2017年3月06日掲載『七つの顔をもつヴォーカル・パフォーマー・ダボハゼのペペさん②

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