趣味や愉しみ

ぶれることなく撮り続けた
53年間の写真の集大成『THE WALKER』①

グラフ・ジャーナリズム(フォト・ジャーナリズム)という、写真に自分の意図を込めて伝える報道写真が主流だったころから、写真家として時代を見つめ続けてきた石田紘一さん。53年間、撮り続けたモノクロ写真のフィルムには、時代の空気が焼きつけられていました。

写真家の石田紘一さん

ブレッソンの「決定的瞬間」を思い出す写真に出会う

ある一冊の写真集に出会いました。すべてがモノクロ(白黒)写真で、写っているのは人物です。しかし、いわゆるポートレートではなく、何かを表現するための決定的瞬間が捉えられている、その思いが伝わってくるような写真です。その写真集『THE WALKER』1963-2016との出会いから、写真家の石田紘一さん(73歳)に会うことになりました。

自由が丘駅(東京)

自由が丘駅(東京)/写真撮影:石田紘一

写真集の最初のページを見ているうちに、思い出した写真集があります。写真集の、そのページを開いて並べてみました。タイトルは、「サン=ラザール駅裏」。フランスの写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集「決定的瞬間(The Decisive Moment)」(1952年)のなかの有名な写真です。

アンリ・カルティエ=ブレッソンは、20世紀を代表する写真家で、小型カメラ「ライカ(Leica)」で撮った「スナップショット(スナップ写真)」を確立したことや、ロバート・キャパらと設立した、世界を代表する国際的写真家集団「マグナム・フォト」で有名です。

石田さんに会う前に、少し、1950年?1970年代の写真史を調べてみることにしました。

葉巻を吸う詩人

葉巻を吸う詩人/写真撮影:石田紘一

報道写真に光が向けられた時代

かつて、グラフ・ジャーナリズム(フォト・ジャーナリズム)と呼ばれる写真文化が隆盛を極めた時代がありました。グラフ・ジャーナリズムとは、文章ではなく1枚の写真、あるいは複数の組み写真で、ジャーナリスト(カメラマン)が、伝えたいことや訴えたいことを表現した報道手法です。

その時代のことをまとめた『日本現代写真史 1945-1970』(平凡社刊・日本写真家協会編)が1977年に出版されていました。当時の日本を代表する写真家の写真が掲載されています。

三木淳 丹野章 佐藤明 土門拳 多川精一 奈良原一高 川田喜久治 木村伊兵衛 東松照明 桑原甲子雄 森山大道 沢渡朔 浅井慎平 田沼武能 白川義員 石田紘一 秋山庄太郎 立木義浩 篠山紀信 細江英公 緑川洋一 荒木経惟 長野重一 舘石昭…

そうそうたる顔ぶれのなかに、石田紘一さんの名前もありました。

石田さんに会って、はじめに、『日本現代写真史 1945-1970』に掲載されたことについて尋ねてみると、

「僕は、ラッキーだったんですね」

石田さんは、そう言って、当時のことを話してくれました。

二子玉川(東京)で洗車する人たち。貸しボートで遊ぶひとたち。兵庫島で遊ぶひとたち。

二子玉川(東京)で洗車する人たち。貸しボートで遊ぶひとたち。兵庫島で遊ぶひとたち。対岸は川崎市/写真撮影:石田紘一

「写真で何を伝えるか」

石田さんは、東京写真短期大学(現 東京工芸大学)在学中から、『カメラ毎日』(毎日新聞社)の編集部に出入りしていたそうです。あるとき、カメラマンの長野重一氏が、1日だけ助手を探しているということを編集長から聞き、紹介してもらったことがきっかけとなって、長野氏のもとで写真を学ぶことになります。長野氏は、フォトエッセイという表現スタイルを持つ有名なカメラマンです。

約2年間、長野氏の助手をして学ぶうちに、「写真は、写す技術を高めることではなく、何を伝えるのかという独自の表現スタイルを確立することにあり、そのためには、上っ面ではないジャーナリストとしての視点を持たなければならない」ということに気づかされて、悩める日々が続いたそうです。

黙って座れば哲学者

「黙って座れば哲学者」(バングラデシュ)/写真撮影:石田紘一

そんなある日、新聞のコラムに載っていた「インド」という国が目に留まり、ほとんど情報がなかった外国へ行くことを石田さんは決意したのだそうです。そのころの日本は、1964年に観光目的の海外旅行が自由化されて2年。石田さんは高額のアルバイトを探して3ヵ月間働き、お金を貯めて、横浜からフランスの貨客船に乗りこんだそうです。

自分の目で見て、感じたものにシャッターを切る

23日間の長い旅の末に、ボンベイ(ムンバイ)の港に着きました。

「着いたのは夜。なのに、道にゴロゴロと人が寝ているんです。それを見たときに、世界に一歩踏み出したという得体の知れない感動、胸の高なりを感じました」(石田さん)

浮浪者に紅茶をごちそうになったり、炎の勢いで口がガバガバと火をふいている遺体を接写したり。当時、23歳だった石田さんには、見るものすべてが刺激的で、写真を撮り続けたそうです。

インドの人の何気ない日常や、生活の有り様を貪欲に撮影してきた写真は、雑誌『世界』(岩波書店)のグラビアページで紹介されることになりました。その写真が1968年の講談社写真賞(現 講談社出版文化賞)にノミネートされたことをきっかけに、『アサヒグラフ』や、『朝日ジャーナル』(ともに朝日新聞社)の連載がはじまったそうです。

ロサンゼルス

ロサンゼルス/写真撮影:石田紘一

石田さんは言います。
「1960年代ごろは、出版社にいた写真部員の撮る優等生的な写真ではなく、フリーのカメラマンが撮るアバンギャルドな写真を使うようになっていったころだったんです。タイミング的にもラッキーだったと思います」

ぶれることなく撮り続けた53年間の写真の集大成『THE WALKER』?に続く
(文 編集:水楢直見 2016年8月取材)


■ Profile ■
石田 紘一氏
1943(昭和18)年生まれ。1964年に東京写真短期大学(現 東京工芸大学)卒業後、長野重一氏に師事。22歳でフリーランスのカメラマンになる。1978年、サンフランシスコのフォーカスギャラリー招待企画展。1979年、サンタフェのフォトギャラリーで「日本の写真家5人展」。銀座ニコンサロン、コンタックスサロン銀座、Place Mなどで個展開催。写真集は、『バラモンとジャンタ』『安家部落』(ともに写真評論社)、『THE WALKER』(蒼穹社)など。

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