趣味や愉しみ
第3回 : ミュージック駄話 「Wasted Time」
レコーディング雑記 vol.3
1950年代生まれは、ロカビリー、ロックンロール、フォーク、ポップスと、音楽市場の黄金期とともに青春を過ごしてきました。そんな「音楽」を愛し続けた60オーバー世代に送る音楽コラム「Wasted Time」。竹内まりや独身期のマネージャーを務め、いまも音楽業界を見守る元ライブハウス店長・中島 睦さんによるミュージック駄話。
「レコーディング雑記 vol.3」
現在のデジタルレコーディングでは、各プレイヤーがパートごとに録音し、インターネットで演奏データをやりとりすることも珍しくありません。同じ作品に参加していながら、話したこともなく、顔すら見たことがない、そんなケースもあるようです。しかし、70?80年代のプレイヤーたちは、いろいろな現場で顔を付き合わせながら、音の職人として仕事をしていました。そんな彼らの当時の様子をみてみましょう。
第2回:レコーディング雑記 vol.2
1980年LA。とあるスタジオでのDavid Hungate、REC中。死ぬほど良かった!/写真提供:中島 睦
1970年代後半、レコードの売り上げは右肩上がりで、さらに1980年代にかけて映画やTV番組用やCM音楽など「音源」の需要は爆発的に増えていました。それだけレコーディング数も多かったわけで、各放送メディアや音楽出版社、もちろんレコードメーカーの最新スタジオも東京中心部のあちこちに出来はじめていたのです。
ある日のリズム録り
「リズム録り」REC開始時間の30分くらい前にはドラムがボーヤと共に到着します。ドラマーも一緒の事が多く、ボーヤが楽器を車から出してスタジオのブースへ運び、セッティングを始めます。
その間ドラマーは大抵早く来ているエンジニアと世間話しつつ、コーヒーなど飲んでいます。 「ふー、今日3本あって、ココが2本目なんだけど、次が○○○スタジオで5時には出なきゃ間に合わないかなー」などとさりげなく売れっ子ぶりをアピールするのです。
エンジニアも「あー、そうなんだ、でも今日○○君(アレンジャー)だから速攻で終わるよー」とか返します。当時人気のスタジオプレイヤーは、一日数本のスタジオ仕事は珍しくなかったのです。午後は良いミュージシャンをほとんど押さえられないので、CM音楽のRECは午前10時スタートなんてのも多かったですし。そしてアレンジャーが譜面を持って登場すると、受け取ったアシスタントたちは即座にコピーに走ります。
メンバーも続々スタジオ入り。大抵顔見知りで気心も知れているので、副調でバカ話が始まります。
ベーシスト「あれ? 昨日も一緒だっけ?」
ドラマー「そうだっけ?あ、やたらチョッパー多くてやりづらかったから、そうかも(笑)」
ベーシスト「じゃ、違うな(笑)、そりゃ○○だろ」
ドラマー「ん?あいつはツアー中で今は地方…(笑)」
時間になっても来ないケースが多いのはギターとパ?カッション。セッティング一番大変なのに…。(あ、これはあくまでも個人的な印象です。もちろん遅刻しない方がほとんどです)
いつの間にか来ていたディレクターが、アレンジャーに聞きます。
「お、おはよ、アレンジどんな感じ?」(なんだよ、その質問。(笑))
「あー、まあ良い感じです」(そんな質問だと、そんな答え)
「おっけー、じゃよろしくー。」(気にしてない…(笑))
サウンドチェック中の故ジェフ・ポルカロ。貴重な後ろからのショット!/写真提供:中島 睦
そんな感じでスタジオが始まります。「リズム録り」は、たいてい4リズム(Dr、Bass、G、Piano)でしたが、同時にパーカッションとかAGとか、スタジオのブース数に余裕あれば出来るだけ「せーの」でやっていました。
これにVo(歌謡曲ものだと仮歌シンガー)入るとミュージシャンが6、7人集まります。
みんな、認め合っていましたし、グルーヴも判っていて、マジックが起きるのを楽しみにしていて、仲も良かったのです。たまにソリの合わないプレイヤー同士も居ましたけどね。
そしてVol.2で書いたような「リズム録り」が始まるのです。
■ Profile ■
中島 睦(なかじま・むつむ)
東京都出身。大学在学中に、音楽制作のアシスタントを始める。
竹内まりや独身期のマネージャーを務め、その後、音楽制作・コーディネイト会社に入社。松任谷由実、久保田利伸始め、数多くのコンサートコーディネイトを担当し、数十枚のCD音源制作ディレクション・プロデュースを手掛ける。またプロミュージシャン・アレンジャーのマネージャーなどを兼任。
2002年ライブバー、渋谷WastedTimeを立ち上げるが、2016年5月惜しまれつつ閉店。
現在はフリーランスで音楽制作プロデュース、ライブハウスのブッキング等を行っている。