趣味や愉しみ
第5回:ミュージック駄話「Wasted Time」
「レコーディング雑記 vol.5」
1950年代生まれは、ロカビリー、ロックンロール、フォーク、ポップスと、音楽市場の黄金期とともに青春を過ごしてきました。そんな「音楽」を愛し続けた60オーバー世代に送る音楽コラム「Wasted Time」。竹内まりや独身期のマネージャーを務め、いまも音楽業界を見守る元ライブハウス店長・中島 睦さんによるミュージック駄話。
「レコーディング雑記 vol.5」
レコーディングにおいて、リズム録りは、基礎工事のようなものです。その土台のうえを、どのように組み立てていくかで、楽曲の方向性が決まっていきます。各パート楽器のミュージシャンたちが、どのように色付けをしていくのか、今回と次回の2回にわたり、ご紹介していきます。
第4回:レコーディング雑記 vol.4
今回はレコーディング工程の第二段階、様々なダビングのお話を。
リズム録りが終わるとほぼ楽曲の全容が判って来ます。テンポや構成が決まり、曲にとって最も重要なリズムやサウンド感がハッキリするので、その後重ねる音の要素が何種類も想像できるのです。
という事で、さらにイントロや間奏やエンディングにひと味付けるために、別日にソロパートのミュージシャンが呼ばれる訳です。
どの箇所にどんな楽器をどんな雰囲気でダビングするのかは、アレンジャーの頭の中に見えています。一人でソロダビングに呼ばれることが一番多いのはギタリストや、サックスなど管楽器奏者で、あとはハモンドやクラビなどキーボード物(70年代は必要に応じてミニムーグやアープオデッセイなどモノラルシンセも)のプレイヤーなど。
また当時多かったのはブルースハープで、その他ダルシマーやカリンバなどの特殊楽器や追加パーカッション物もまれにありました。まあ、80年代初期以前のシンセサイザーやサンプラーやシーケンサーが台頭してくる前までの話ですが…。
<チョーキングな方々>
ギタリストは2時間くらいの押さえで、大体二曲のギターソロやその他のダビングを仕上げて帰ります。
持ち味が各ギタリストによってありますが、エレキの場合まずギターとアンプ本体で基本の音質を作り、音色を探りながら、エフェクターで歪み物やディレイの掛かり具合を調整し、たまにテープエコーなど噛ませて個性を出します。ダビングの場合、汎用性が効くのでギターはストラト系が多かったと思います。
アレンジャーもその辺熟知しているので、「もう少し甘めで」「あー、そこは思い切り行っちゃって!」「つまり〇〇っぽくで…」とか曲のニュアンスに合わせて要望を伝えつつ、ダビングを進めていくわけです。
ギタリストも何を望まれてるのかよく判っているので、ソロパートの2?3テイク目で持ち味のフレーズがコードとはまると、「もうバッチリ!」となって次の曲へ。
ニューミュージックや歌謡曲系の場合、人気フレーズはジミヘン、ペイジ、ベック、サンタナ、ニール・ショーン、後年グレイドン、ルカサー等といろいろ引き出しがあって楽しかったのです。だって言えばやってくれるんですよ、そっくりに(笑)。
写真は1980年当時、TOTOのSteve Lukatherのエフェクターボード。貴重な写真ですが写りが悪くてごめんなさい、なにせアナログカメラなんで/写真提供:中島 睦
とはいえ、もちろんインスパイアされていても、ダビングされたプレイはそのギタリストのオリジナルフレーズなのです。
<ブロウな方々>
ジャズ、ファンク、R&B、歌謡曲など、広いジャンルで起用されるサックス/写真:弓削ヒズミ
サックスのソロダビングはもっと早く、2曲で1時間押さえとか普通でした。サックスプレイヤーがスタジオ入りして、リズム録りした曲聴きつつ譜面見つつ、ソロ箇所を確認し、とりあえず一服。
サックスプレイヤー「で、ソプラノ? アルト?」
アレンジャー「あ、ソプラノで…」
そのままスタジオブースに入って準備でき次第、4小節前くらいから曲を出し、“必ず”一発目から録音します。
当時売れっ子のサックスプレイヤーは神懸かっている人も多く、いきなりベストテイクを吹くことがあまりに多かったのです。サックスのフレーズは、そのプレイヤーのセンス、そして音楽人生そのものだと、よく感じたものです。
そのことを熟知しているアレンジャー、ソロ一発目が終わって、「あー、素晴らしい! それ頂きます!」
サックスプレイヤー「…えーと、モニターほとんど聞こえなかったんだけど(苦笑)…」
アレンジャー「でもメチャ良かったんで聴いてみましょう!」となり、そのままOKって事も珍しくありませんでした。
あまりに早いので、そのうちギャラは一曲単位に変更されました・・。
次回もダビング工程の続きのお話を。
■ Profile ■
中島 睦(なかじま・むつむ)
東京都出身。大学在学中に、音楽制作のアシスタントを始める。
竹内まりや独身期のマネージャーを務め、その後、音楽制作・コーディネイト会社に入社。松任谷由実、久保田利伸始め、数多くのコンサートコーディネイトを担当し、数十枚のCD音源制作ディレクション・プロデュースを手掛ける。またプロミュージシャン・アレンジャーのマネージャーなどを兼任。
2002年ライブバー、渋谷WastedTimeを立ち上げるが、2016年5月惜しまれつつ閉店。
現在はフリーランスで音楽制作プロデュース、ライブハウスのブッキング等を行っている。